1、“.....了における誤用についてまず初級で習う了から誤用表現が挙げられる。以下の誤用は実際に授業で得られた誤用例であり名の中国語学習者の調査に基づくデータである。听他的话,母亲感动地流泪了。才换衬衣又脏了。吃这个汉堡我们再继续讨论吧。我听见了有人说了话。在车站我看见了有乘客插了队。去年冬天为了预防感冒,我每天喝了姜汤。小学的时候我天天听了英文广播。小时候他る文法や発音に関する研究がなされ教師も学習者の誤用に対し多くの注意や指摘を行ってきた。しかし実際に学習者が苦手としている文法や発音の誤用に対し中国語母語話者はどのように捉えているのかこれまで調査や研究が行われることはなかった......”。
2、“.....今回の調査の結果を通し今後の第外中国語教育に関し次の点を実現できるきっかけとしたい。これまでの第外中国語教育で見られてきたように限られた授業環境や授業時間のもとで規則的な文法や発音を第としてきた教育あるいは指導の方向性を見直す。第外中国語学習者の文法や発音に関する学習の苦手意識や恐怖心をできるだけなくすまたは克服させる。規則的な文法や発音規則に縛られずまたは必要以上に意識せず積極的に学習者に自己表現のためのアウトプットをさせていく環境づくりを大事米吗他能跑公里ということになる。你好好休息吧我能每天去看你の能はできるということを表す他に将来の予測を表すが第者から見たような客観的な予測を表すのに使うことが多い......”。
3、“.....そのためは你好好休息吧我每天会去看你となる。は不洗手不会吃甜点。という食べることが可能かどうかを聞いているため会ではなく能となる。は我用汉语会聊个多小时你酒量大,会喝就多喝点儿はどちらも話せる時間が長いこと飲むことができる量が多いという能力的なことを表しているため会を使う代わりに能を使う必要がある。現在日本の第外中国語教育において学習者を中心としたコミュニケーションや会話能力の育成を目指した授業を行うべきであるという意見を中国語教育に携わる様々な場で耳にするようになった......”。
4、“.....以上のように文の中の把における結果補語が抜けていたり把に対する助動詞の位置の問題がみられてもからのすべての誤用例を通して表現的には不自然ではあるが文法規則に沿っているか否かに関係なく意味は通じると答えた中国語母語話者の割合が番高く実際にはコミュニケーションや意味を伝達する上で影響が少ないということが分かる。しかしだけ来客人了,所以妈妈把茶倒把了。だけは本来满という結果補語を入れることでお客様が来たのでお母さんはお茶を杯いれた。という意味となるはずである。しかし满という結果補語を入れていないため茶倒了という意味になってしまった。それによりに前文の来客人了と後文の所以妈妈把茶倒了の意味がお客様が来たためお母さんはお茶を捨てたという意味になり結果的に前文と後文において意味的な繋がりが分かりにくいものとなった......”。
5、“.....会と能における誤いる中国語母語話者を対象とした理由は般的に彼らは日本語を学んでいない。したがって文法誤用のある中国語の文が理解できるものであるかを判断する際日本語の文法構造で認識しないため意味が通じるかどうかという基準がより明確で正確なものとなるのではないかと考えた。そして文法上に誤用がみられる了把会能个が次の項目ののどの項目に当てはまるか回答してもらい初級学習者が書いたこれらの誤用表現を理解できるかどうかまた通じるかどうかを考察した。表現的に理解できかつ文法的にも正しい。表現的には不自然ではあるが文法規則に沿っているか否かに関係なく意味は通じる。表現的にも不自然さがあり文法的にも誤用がみられ且つ意味も通じない......”。
6、“.....文法上に誤用があっても実際には中国語母語話者には意味が通じ自然にコミュニケーションを行う上で支障はないと考えられる観点規則的な文法の学習や発音を学ぶことを避けて通ることはできない。しかし現在の第外中国教育の現状を変えるには外国語を通して自分のこと伝えることに楽しみを見出すことすなわち規則的な文法や発音に捉われるのではなく誤用することを恐れず自分のことを積極的に発信するという点に授業の目標をシフトすることが必要ではないだろうか。これまでも様々な角度から日本語母語話者が中国語を学ぶ際に苦手としている文法や発音に関する研究がなされ教師も学習者の誤用に対し多くの注意や指摘を行ってきた......”。
7、“.....そこで本論では大学の中国語中国語の授業で得た日本語母語話者の文法および発音における誤用をデータとして収集しそれを中国語母語話者に提示した上でそれらの誤りに対しコミュニケーションに支障があるか否か考察を行った。今回の調査の結果を通し今後の第外中国語教育に関し次の点を実現できるきっ才换衬衣又脏了。吃这个汉堡我们再继续讨论吧。我听见了有人说了话。在车站我看见了有乘客插了队。去年冬天为了预防感冒,我每天喝了姜汤。小学的时候我天天听了英文广播。小时候他的体质不好,所以经常感冒了。年前这个公园在日本很有名,因为到春天,常常能看到了樱花。年前我去北京留学的时候,经常吃了北京烤鸭。了における誤用についての分析了の誤用表現に関して大まかにからそしてからまでに分けることができる。まずからに分けられるものは最初の動詞の動作が完了してから第の動詞の動作が発生する誤用の文である......”。
8、“.....母亲感动地流泪了を例に例えると最初のである听他的话の听が実現完了してから初めて第の動詞の動作である母亲感动地流泪了の流泪了が発生するのである。すなわち听他的话母亲感动地流泪了となるのだ。誤用の場合吃这个汉堡我们再继续讨论吧がの場合最初の動作にあたる吃の後に動作の了が入っていない。誤用の我听见了有人说了话と在车站我看见了有乘客插了队はいずれも了を必要としない文である。これは主部の動詞である听解することができると考えられる。も意味が通じていると考えている学習者は多いが第音節の声調が正しいにも関わらずとの方が意味が通じると答えた中国語母語話者の数が多い。我没有她好看没有ǒ私は彼女ほどきれいではない。没有ǒに関していえることは本来の第音節は没で第声であるがとは共通して両方の第音節の声調に誤用がある状態である......”。
9、“.....の第音節は本来ǒと声であるにも関わらずここでは誤用で声となっている。しかしこれもまたがと非常に高い割合で中国語母語話者が理解している。般的に第声と第声は日本語母語話者が中国語を学ぶ中でよく間違うものとして知られている。しかし実際には日本語母語話者が考えているよりも中国語母語話者には通じている傾向が強い。したがって授業において声調について必要以上の指摘を行うことはメリットにはならないのではないかと考えられる。今天的天气不好ǎ今日のれるという。第声に関する誤用数は非常に少ない。先行研究では第単音節による第声の誤用は少ないが多音節になると初級者に関しては誤用も増えてくる傾向が見られる。誤用数がいちばん多いのは第声と第声であり第声を平らな声調や上がりがあまりない声調に発音してしまう傾向が強い。また第声を第声に近い声調に発音してしまう傾向がみられる......”。
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